「アイーダ」評 オペ歴50年の男性より

2018/11/06

公演: ヴェルディ 歌劇『アイーダ』(兵庫県)

バッティストーニ指揮 ヴェルディ:歌劇「アイーダ」西宮芸文 2018-10-24 夜

熱血漢バッティストーニの指揮による引き締まったテンポが大きな魅力であり、特徴であった。 しかし、ピットの東フィルはいつもの美音ではなく、荒れ気味の響きであったのが惜しまれる。 それと日本人歌手の健闘である。装置や衣装は簡素ながらも、観客の夢を壊さぬものであった。

歌手ではアムネリス:清水華澄が終始声が安定し、演技も熟達していた。第4幕での一人で苦悩を演じる場面は圧巻であった。第2幕でアイーダとの確執が火花を飛ぶようにならなかったのはアイーダ:ザネッティンの力不足もある。彼女は声は綺麗だし、ルックスも良いが、声が細めではじめはドラマ性が不足と感じた。とは言え、徐々に燃えて?第3幕、第4幕では見事に歌った。 ラダメス:福井敬は第1幕冒頭から大声量で歌い出しファンを喜ばせた。かつての固く力んだ声ではなく、柔らかさもありイタオペのテナーらしい声であった。「清きアイーダ」は力が入って、やや傷もあった?以降は大ベテランならではの余裕、貫録があったのはサスガ!と感じ入った。

バッティストーニ指揮の常に引き締まった速いテンポは壮大、華麗さを備えつつ説得力があって心地よく音楽とドラマの進行に身をゆだねることが出来た。その総合的な快感!は忘れがたい。 その早いテンポで不満の箇所も幾つかはあった。例えば、天国に向かう第4幕後半は丁寧にやってこそ美しさが際立つというのに。しかし「凱旋の場」では装置は簡素だが、高揚する合唱と華やかなバレーが大きな装置となっていたが、そこでのドラマが盛り上がったのも此のテンポがあったればこそである。緻密で雄弁な合唱は優れもの。東京シティ・バレーのダンサー達も練達揃いで見事。

今回4階の中央、C席7000円で観たが、視覚的にも音響的にも申し分なし。