インタビュー

必見対談!「福井敬vs能楽師・津村禮次郎」前半

(2007年8月27日 16:27)

能楽書林発行の「能楽タイムズ8月号」に福井さんと能楽師・津村禮次郎さんによる対談が掲載されました。このたび、能楽書林さんの全面的なご協力により全文をこのサイトに掲載させていただく事になりました。長い対談なので、2日間に分けて掲載させていただきます。


東西クラシックの類似と相違
津村禮次郎
福井  敬


 『能』と『オペラ』

津村 福井さんのお母様は、中尊寺のご出身でしたね。


福井 ええ、母の実家が中尊寺の中でして、それぞれの家は、普段は僧なのですが、代々、能の役を継いで、奉納能の時に出演しています。僧籍の叔父が小鼓で舞台に出ていた関係で、中尊寺での能を見ているんです。麓の、庭園蹟の毛越寺での延年舞もよく見ました。子供の頃の印象は強く残っていますね。中尊寺の舞台は野外ですが、周囲の木立とか、風情ある国宝舞台が焼きついています。小さい時は、そうした雰囲気が好きで、よく母親の実家に遊びに行きました。


津村 高等学校まで、そちらにおられたのですか。


福井 当時の水沢市、現在は奥州市になりましたが、ここに高校までおりました。


津村 私の生まれは北九州の工業地帯で、元々は絵が好きで、高等学校まで描いていたんです。


福井 それがどうして(笑)。


津村 オペラや歌舞伎も好きで、大学に入った頃は、観ていたんです。たまたま先輩が能をやっていて、サークルに入ったんです。何かを表現するのが好きだったのでしょうね。卒業後、住み込み内弟子になった訳です。その頃になるとオペラと離れてしまいましたが、ダンスとか芝居などにも興味を持っていました。一九九七年、新国立劇場がオープンした時に見たのが、福井さんの出ておられた「ローエングリーン」だったんです。タイトルロールの「ローエングリーン」を歌われましたね。


福井 新国立劇場開場記念のワーグナーのオペラで、この時、初めて津村さんにお会いしたのが最初で、以後、いろいろとお付き合いが始まったのですね。


津村  私は、学生に「能って何だろう」と話をするんです。『能』という単語から何が想像できるかと質問すると、要を得ない。『歌舞伎』だと何となく想像できますが、『能』をご存知ない人には、文字からは想像しづらいのですね。元々は『猿楽』と呼ばれていて、それが『猿楽の能』になり、『能』と呼ばれるようになったのですが。


福井 『能』というのは、いつ頃から使われ始めたのですか。


津村 世阿弥の時代は『猿楽』です。中世には『田楽』などの様々な芸能もあって、パフォーマンスの一つとして『猿楽の能』として独立したものが、次第に優勢になり、いつの頃からか『猿楽』がなくなって『能』だけが残った。


福井 従来の形が洗練されて、より演劇性を持ち、何かを語る方向になったのですかね。


津村 そうですね。『能』という語自体には、どういう形態かという具体的な意味はないでしょうね。それと似て、『オペラ』も同じことが言えませんか。


福井 元々は「オペレーション」とか、手術する「オペ」という意味も持っていると思います。それまでの教会音楽などに型をつけて、イタリアで始まったのがオペラだとされていて、大衆演劇として発達したのですね。また、古くからイタリアにあった仮面劇などは、能に似て、型も決まっていますね。この装束で、この面を着けていればアルレッキーノ、こちらの女の子はコロンビーナという形で固定化されています。即興劇ですが、そうしたものからオペラができたのでしょう。


津村 『能』も『オペラ』も、同じような発展をしていますね。


福井 よく似ていて面白いですね。
 ある方の著書に、オペラの成立時期が出てくるんですが、『歌舞伎』の成立とほぼ同じ頃なんです。踊り、歌、お芝居がある、という内容も同じですね。『京劇』も同時代だそうです。


津村 『能』の成立は少し前ですが、発展する形態は同じだったのでしょうね。『能』は武家社会に入っていきますが、実は庶民にもサポートされていたりする。
 なぜ『オペラ』と言うのかが不思議だったんです。


福井 何かを表現する場合、洋の東西に関係なく同じなのでしょう。どんどん殺ぎ落とした『能』に対して、『オペラ』は、どんどん足して行った。オーケストラや合唱の巨大化がそうですね(笑)。


津村 世阿弥の生き方、方法論にも関わるでしょうね。年代を重ねるたびに徐々にそぎ落として、透明感のある作品を創って行った。しかし、世阿弥の二代、三代あとになると、また違う方向に発展したりして、大衆受けする「土蜘蛛」「安宅」「紅葉狩」などができてきます。
 福井さんは、古典はもちろんですが、いろいろと新しい曲に挑戦されていますね。古典の復活もなさいますけど、本邦初演もおありでしょう。


福井 どういう訳か、そういうのが回ってきます(笑)。十一月に、びわ湖ホールで、ツェムリンスキーのオペラ「こびと」をいたします。R・シュトラウスの次の時代の、ドイツの有名な音楽家で、ウイーン国立歌劇場の指揮をしていた人の作品ですが、日本初演なんです。


津村 本場のヨーロッパでも上演されない新しい曲に挑戦するのは、いろいろと大変でしょうね。


福井 いつも定番のものばかりを演っていると沈滞してしまいますから、挑戦して行くことも必要です。逆に言いますと、自分が新しい物を創造できる喜びもありますし、面白いですね。こうした挑戦は津村さんもなさっておられますが。


津村 我々能の世界では、作り、プロデュースし、演技するのも、ほとんど一人で背負い込まなくてはなりませんので苦しみもありますが、反面、喜びでもありますね。


福井 能の場合は古典ですから、所作や型は決まったものがあるのでしょう。流派によって違いはありますか。


津村 八割がたは各流派同じですが、細かい部分の違いはありますね。舞台への出入りとか、どういう音楽を使うといった構成は、おおかた同じです。通常、上演される『現行曲』は二百数十曲ありますが、現在は上演されなくなった曲を復曲上演する時は、かなりの時間と労力が必要になりますね。『新作・創作』の作業も同様ですね。現行曲は、謡曲や囃子の節付や楽譜もありますし、所作についての型附もあって、演出の方向も決まっていますから、それぞれのパートごとに練習して集まれば、ある程度、形を整えることは可能です。しかし、『創作能・新作能』は白紙の状態から創る訳ですから、まず、作品のコンセプトを各役に理解してもらわなくてはなりません。囃子(音楽)の方向性は作る者の方から一応の指示はしますが、それぞれが専業ですから、詳細については、それぞれの役職の人にお任せします。原詩ができたあと、私どもの最初の作業はパーツを作ることですね。パーツを持ち帰り各パートが稽古し、また調整しながら作る、という形です。ディレクターがおりませんから、主催する者が責任を持つことになりますが、私の場合は各役の人たちと合議をしながら作ります。


福井 作詞、作曲、作舞……すべての構想も考えるのですから大変ですね。
 能の場合は、むろん法則があるのでしょうけれども、即興性が強いというイメージを抱いていたのです。


津村 一般的には、「能に即興性が多いだろう」という考え方はなくて、「いろいろな決まり事でがんじ搦めになっている」と思われています。福井さんのそのお考えはとても優れていますね。


福井 その時の微妙な調子で、声の高さを変えることはありますでしょ。むろん、笛の音程がありますから、突飛な変化はないでしょうけれども。


津村 実は、いろいろとあって、そうしたバトン・リレーができないと能はできません。


福井 『間』やテンポには、その時の皆さんの感覚が入るのじゃないかな、と思うのですけれど、そういうことはないのでしょうか。


津村 ありますね。各役とのキャッチ・ボールができないと成立しません。


福井 そういう面では『ジャズ』的ですから、即興性のように感じるのですね。オペラですと、オタマジャクシによって決められている面があって、一つの『音』を、どれだけ延ばすとか、逆に短く歌うとかもあります。


津村 指揮者との駆け引きもあるのでしょう。


福井 あります。即興的なものでしたら、ソプラノのコロコロと転がるような唱法……カデンツと言うのですけれども、自由に歌い方を換えたりというのもあります。どうなのでしょうね。東西、一緒の部分もあるように思いますね。


津村 能楽堂の橋掛りの長さは、一定ではありませんから、舞台への出入りの囃子は、ある程度、シテ等の演技に従って自在なんです。


福井 でも、決まりはあるのでしょう。


津村 キッカケは決まりがあります。
 『間合い』で思い出すのは、若い時の稽古で経験した、申合せ、本番の違いです。本番前の申合せは、いわゆるゲネプロですが、とても位を持って、お囃子もテンポを抑えて重いのですが、本番では、多少、軽くされました。稽古や申合せでは間をしっかり取られますので、こちらは応え切れない。ところが本番になると違うんです。


福井 お稽古の時は、たっぷりと、なんですね。それで、舞う人の間を量るのでしょう。我々の場合も、あるオペラで、最初のうちは指揮者のタクトが遅くて、「これじゃ息が持たない」と思いましたが、その指揮者はわざと、いろんなテンポでやってみて、どんな形になっても、対応できるような準備をしていたのですね。オーケストラは大人数ですから、合わせていくのにも時間がかかるのですね。稽古を重ねるたびに早くなります。
 西洋の音楽は『拍』があって、小節で区切られていますので、より厳密な時間になります。コンマ何秒で、舞台の下から上まで移動するという形ですから、そういう制約はオペラの方が多いのかも知れません。


津村 能はアンサンブルするにも少人数ですし、各パートは、この演技の時は『太鼓』が、この場合は『大鼓』、または『笛』と、それぞれがリードしたりします。


福井 オペラの場合、限られた時間の中の事件がテーマで、モーツァルトの時代の喜劇などは、「二十四時間」の出来事がドラマ化されているのですね。三幕あるとすると、明け方の酒場から始まって、賭け事をしたり女性をからかう場面があり、そして夜の大円団の宴会……フィナーレで終わる、といったパターンが多いのですけど、この限られた時間の中で、どのようなドラマを作っていくか、なんですね。西洋の物は、縦の時間に縛られた中でのドラマですね。能は、時間というよりは内的な心理追究の方に重点が置かれているのじゃないでしょうか。時間を超越した表現では、能は優れていると思いますね。私などは、同じ「表現」でも、ここが一番違うような気がします。


津村 システムとしては、能もオペラも似ていますが、狙っていく対象や表現方法は違いますね。能は幽霊……死者の霊を使うことが多い。オペラにも非人間的な物を使う場合もあって、時間と空間を超えた形で表現したり、過去へ遡りつつ、また現実に戻ったりします。表現する時間は、長い時間であったり、深い時間だったりしても、実際の舞台としては「一炊の夢」だった、という形ですね。昼下がりに旅をしている青年が宿を借りて、夜の夢の中でにいろいろな事があって、明け方になって終わっていく。……ドラマとしての時間は短いですが、その中で時間の奥に深く入っていきますね。


福井 「想い」が、ズウッーと続いていく。オペラだと『アリア』で一人の歌い手が、その「想い」を歌う。それまでは時間の流れが続くのですけど、『アリア』になると一瞬、時間が止まった形になりますね。これがオペラの醍醐味でもあるのですが。『アリア』になると、演技もストップして「内面表現」になりますね。津村さんもご覧になった「ローエングリーン」では、そういうのが津村さんの琴線にちょっと触れたのかな。


津村 そうかも知れません。あの大きな新国立劇場のステージの奥の方で、しかも後ろを向いて歌われましたね。能の『次第』……登場したシテがいきなり観客に背を向けた形で、短い謡を謡うのですが、それと同じなのに驚きました。


福井 「ローエングリーン」の私の役は、神に近い存在ですが、白鳥に乗って登場する「白鳥の騎士」で、舞台の奥に出て、遙々送ってくれた白鳥に礼を言い、別れを告げるのですが、この時は、完全に後ろを向いて歌いました。こういうことは、オペラではあまり例がないと思います。こうして歌いますと、音響が周囲に広がって、別の趣きが出ましたね。